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徳島地方裁判所 昭和60年(ヨ)243号 決定

債権者 江川寛二

〈ほか九名〉

右債権者ら訴訟代理人弁護士 眞鍋忠敬

同 津川博昭

債務者 ダイア建設株式会社

右代表者代表取締役 下津寛徳

〈ほか一名〉

右債務者ら訴訟代理人弁護士 立野省一

主文

一  債務者大成建設株式会社は徳島市新蔵町一丁目八二番、宅地一〇一六・三三平方メートルの土地上に建築中の鉄筋コンクリート造陸屋根一一階建共同住宅、総床面積四三一六・四五平方メートルのうち四階から一一階までの各階東端の一戸分(合計八戸分)並びに右建物部分の北側に隣接する外部階段及びエレベーター塔屋のうち三階を超える部分の建築をしてはならない。

二  債務者ダイア建設株式会社は自ら右建物部分を建築し、若しくは第三者をしてその建築をさせてはならない。

三  債権者らの本件各仮処分申請のうちその余の部分をいずれも却下する。

四  申請費用はこれを二分し、その一を債権者らの、その余を債務者らの各負担とする。

理由

一  債権者らの本件仮処分申請の趣旨及び理由、並びにこれに対する債務者らの答弁は別紙「仮処分申請書」及び「答弁書」に記載のとおりである。

二  当裁判所の判断

1  本件疎明資料によれば、次の事実が一応認められる。

(一)  債権者らは、それぞれ肩書地(ただし、債権者江川寛二は同江川幸一の肩書地)に建物(以下において各建物を別個に呼称する場合には、当該建物に居住している債権者の姓を付して、例えば「江川宅」というように称することがある。)を所有して居住し、若しくはその所有者と同居している者である。

債権者江川寛二及び同斎中久子は昭和二一年ころから、債権者原秀雄、同原文子は昭和三一年から、それぞれその所有建物を居宅(江川宅)、食堂兼居宅(斎中宅。ただし、現在は喫茶店兼居宅)、弁護士事務所兼居宅(原宅)として利用し、ここに居住してきた。ただし、債権者江川寛二は昭和四九年ころその肩書地に居を移し、以後は、債権者江川幸一が江川宅に居住しているが、江川宅及びその敷地の所有者は今もなお債権者江川寛二である。また、その余の債権者らは、いずれもその先代若しくは死亡した配偶者が昭和二〇年代以降その所有建物を弁護士事務所兼居宅(平山宅)、司法書士事務所兼居宅(柳澤宅、村井宅)として使用し、居住してきたところ、先代等の死亡後、そのあとを受け継いで専らこれを住居として使用し、居住しているものである。

(二)  債務者ダイア建設株式会社(以下「債務者ダイア建設」という。)は不動産の建築販売を、債務者大成建設株式会社(以下「債務者大成建設」という。)は建物等の建築請負をそれぞれその営業目的とする会社であるところ、債務者ダイア建設は昭和六〇年六月二九日債権者らが居住する各建物の所在地(以下「債権者ら居住地」という。)の南側に隣接する土地(徳島市新蔵町一丁目八二番宅地一〇一六・三三平方メートル。以下「本件土地」という。)を入手し、ここに鉄筋コンクリート造陸屋根一一階建、総面積四三一六・四五平方メートルの、いわゆる分譲マンション(総戸数六二戸、うち六戸は分譲事務所。以下「本件建物」という。)の建築を計画し、同年九月一一日、建築基準法に基づく建築主事の建築確認を得て、債務者大成建設にその建築工事を注文し、同債務者は同年一一月一一日工事に着工した。

(三)  債権者らの居住地及び本件土地を含む一街区(以下「本件街区」という。)は、国鉄徳島駅の東南東約七〇〇メートルのところにあり、いわば徳島市の中心部の一角を形成する。付近一帯(以下「本件地域」という。)は建築基準法が定める用途地域上の商業地域に指定されているが、いわゆる「繁華街」とは異なり、むしろ官公庁建物や公共用建物が多く所在する場所である。このことは本件街区周辺において特に顕著であり、本件街区は、東は国道一一号線に面し、その他の三方はそれぞれ道路を隔てて南は徳島東消防署庁舎、西は徳島市中央公民館や徳島市社会福祉センター、徳島県青少年センター等の公共用建物、北は徳島地方・家庭・簡易裁判所の庁舎がそれぞれ所在する街区に面している。

本件地域においては、建物の高層化は余り進んでおらず、前記の中央公民館をはじめとして七階建の建物が数棟あって、これらが最も高層化された建物といえる程度で(もっとも、中央公民館等の西隣を国鉄牟岐線の線路が走っており、この線路を隔てた西側の地域には一四階建の徳島市役所庁舎等、更に高層化された建物が存在するが、この地域と東側、すなわち本件街区側とでは地域の様相を異にしている。)、むしろ三ないし四階建の中層建物が主流をなしており、なかでも、本件街区はこれらの中層建物と平家ないし二階建の住居専用、若しくは事務所ないし店舗兼住居用建物が相半ばして混在している地域である。加えて、徳島市内全体でも、一〇階建以上の高層建物はむしろ例外的な存在であることからすると、本件地域においては、将来にわたって建築物の大幅な高層化が進展するとは考えられず、したがって、本件建物がそのまま建築されたとすれば、本件地域内で最も高層な建築物のひとつとなることは確かである。

(四)  本件街区内に目を転じると、その北西部が債権者ら居住地、南西部が本件土地であり、南東部には県副知事公舎が所在し、北東部には二、三階建程度の建物(多くは事務所ないし店舗兼居宅)が建ち並んでいて、現実には住居地域に近い趣きを呈している。本件土地は債務者ダイア建設の所有となるまでの数年間は空地になっており、それ以前も二階建程度の建物が存在しているだけである。そのため債権者らは次のとおり(基準時は冬至。以下においても同じ。)西側の中央公民館及び社会福祉センターと、村井宅の東隣に位置する申請外住吉明所有の一部三階建建物(以下「住吉建物」という。なお、債権者らの各居住建物、本件建物、中央公民館、社会福祉センター、住吉建物の位置関係は別紙図面記載のとおりである。)から生ずる日影の影響を受けていたほかは十分な日照の利益を享受してきたのである。

(1) 江川宅

午後三時ころ建物の西側が社会福祉センターの日影下に入り、午後四時ころには建物のほぼ全体がその日影下に入ってそのまま日没を迎える。

(2) 斎中宅

午後二時ころ建物の一部が中央公民館の日影下に入り、午後三時ころには建物のほぼ全部がその日影下に入ってそのまま日没を迎える。

(3) 柳澤宅

午後四時ころ建物全体が社会福祉センターの日影下に入り、ほかに午前八時ころには住吉建物の日影が建物西側の一部に及ぶが、生活への影響はほとんどなく、それも午前九時までには届かなくなる。

(4) 原宅

午前八時ころ建物の北半分が住吉建物の日影下に入るが、午前九時には及ばなくなる。午後四時ころになって建物の北半分が社会福祉センターの日影下に入り、そのまま日没を迎える。

(5) 村井宅

午前九時すぎまで建物全体が住吉建物の日影下にあるが、午前一〇時には建物の半分程度(南側は大部分)がこれを脱し、午前一一時には完全に日影から脱する。以後の日照阻害はない。

(6) 平山宅

終日日照が阻害されることはない。

(五)  ところが、本件建物がそのまま建築されると、債権者らの各居住建物の真南に一一階建で、高さ三〇・四五メートル(最高部は三五・五五メートル)の建物が出現することになる。しかも、債権者ら居住地と本件土地とは幅約一・五メートルの道路によって隔てられているのみであり、本件建物は北寄りに、そして、東側と西側ではほぼ敷地一杯に建てられることになるため、債権者らは次のとおりの日照阻害を受けるほか、眺望の侵害、圧迫感、ビル風などといった点でも少なからぬ影響を受けることになる。

(1) 江川宅

午前中はすべて本件建物の日影下にある。午後一時になって建物の西側の一部が、午後二時には建物のほぼ半分が日影から脱するが、午後三時になると前示のとおり社会福祉センターの日影が及びはじめる。

(2) 斎中宅

午前八時ころ建物の南側の一部が本件建物の日影下にあり、午前九時ころには建物全部が日影下に入る。午後一時になって建物の半分以上が日影から脱し、午後二時には完全に脱するが、同じ午後二時ころ中央公民館の日影が及びはじめ、午後三時にはほぼ完全にその日影下に入る。

(3) 柳澤宅

午前九時ころから建物の南側に本件建物の日影が及びはじめ、午前一〇時には建物の北東部分を除くその余の部分、午前一一時には建物全体が日影下に入る。午後三時になってようやく建物北側がこれから脱し、午後四時にはほとんどが脱するが、代りに午後四時には社会福祉センターの日影下に入っている。

(4) 原宅

午前一〇時までは建物の南側一部が本件建物の日影下に入るのみであるが、午前一一時には北東部を除く大半、正午には建物全部がその日影下に入り、以後は終日日影下にある。

(5) 村井宅

午前一一時に住吉建物の日影から脱した後、正午までは日照阻害はないが、その後本件建物の日影が及びはじめ、午後一時には完全にその日影下に入り、日没に至る。

(6) 平山宅

午後一時ころから建物の西側部分に本件建物の日影が及びはじめ、午後二時には完全にその日影下に入り、そのまま日没に至る。

(六)  右のとおり本件建物は債権者らに重大な日照阻害等の影響をもたらすことになるが、債務者らは特に債権者らに事前に建築計画を説明して了解を求めるということはしないで計画を進めた。債権者らは昭和六〇年一〇月初めに債務者大成建設から工事着工のあいさつを受けて初めて建築計画を知り、日照阻害等を理由に建物の設計を変更するよう申し入れたが、債務者らはプライバシー保護のための配慮や圧迫感軽減のための措置については検討することを約したものの、日照回復のための大幅な設計変更については、既に計画が決っていること、本件街区周辺は商業地域で日影規制がないことを理由に応じられないとの態度をとり続けた。

2  そこで、右事実に基づいて検討してみるのに、現在債権者らが享受している日照の利益は前記のとおりであって、冬至における午前八時から午後四時の間の日照についていえば、他の建物によって最も大きな影響を受けている村井宅でさえ、日照を阻害される(部分日影を含む。)のは三時間程度にすぎない。ところが、本件建物がそのまま建築されると、この関係が逆転し、最も被害の少ない平山宅でも三時間(部分日照も含めれば二時間)程度の日照阻害を受け、そのほかの債権者らは、いずれも部分日照を含めて二時間ないし三時間の日照を受け得るにすぎなくなり、しかも最も陽光の恵みが豊かであるはずの午前一〇時ころから午後三時ころにかけての時間帯に、本件建物によって最も甚しい日照阻害を受けることになるのである。そして、本件街区を含む付近一帯の前記のような状況からすれば、ここが商業地域に指定されていて、公法上の日影規制が及んでいないとはいえ、決して建物の高層化が進んでいるわけではないし、これを推し進めることについて強い社会的要請が存するとも認められない今日においては、債権者らはなお、最も陽光の恵みが豊かな午前一〇時ころから午後三時ころまでの時間帯において二時間程度の日照の利益確保を求めることはできるというべきであり、この限度に関する限り、債権者らの要求は公平の観念に照らして不当なものとはいえず、したがって、これを超えての日照の阻害は債権者らの受忍限度を超えるものと認めるのが相当である。

3  そこで、本件建物のいずれかの部分の設計を変更することにより債権者らの住居地に右の限度での日照を確保することが可能かどうかについて考えてみるのに、本件疎明資料によれば、本件建物のうち東端部分(本件建物の各階の東端の一戸分に相当する部分。以下同じ。)並びにその北側に隣接する外部階段及びエレベーター塔屋部分の階高を三階まで下げると、原宅で午前一〇時から正午の間、村井宅で正午から午後二時の間、平山宅で午後一時から午後三時の間それぞれ一時間ないし二時間程度の日照が確保でき、斎中宅、柳澤宅でも午前八時から午前一〇時の間に数一〇分程度ではあるが日照が得られることが一応認められ、この限度での設計変更が債務者ダイア建設による本件土地上での、いわゆる分譲マンション建築計画の実現を著しく困難にするとも思われない。もっとも、右程度の設計変更では、江川宅は全く日照を得られないことに変りはないし、斎中宅、柳澤宅についても前説示の限度での日照確保は不可能であるが、本件疎明資料によれば、そのためには本件建物全体の階高を三階以下に下げる等の重大な設計変更をしなければならないことが一応認められるのであって、そうすると、債務者ダイア建設としては、右建築計画そのものを断念せざるを得なくなることは明らかである。したがって、右三居宅については、前説示の限度での日照を確保することは所詮困難なことというほかはなく、右三居宅に居住する債権者らは債務者ダイア建設に対し建物の設計変更に代えて日照阻害による損害の賠償を求めるよりほかはないものというべきである。

4  したがって、債権者らは、債務者らに対し本件建物の東端部分並びに前記外部階段及びエレベーター塔屋部分のうち三階を超える部分の建築禁止を求めることができるが、債務者らが本件建物の設計変更を拒絶し、建築工事を進めていることは既にみたとおりであるから、このままでは本件建物が完成してしまい債権者らに回復し難い損害が生ずるおそれがあるので、これを避けるためには債務者らに対し、右建物部分の建築を禁止する必要がある。

三  よって、債権者らの本件仮処分申請は右の限度で理由があるから保証を立てさせることなくしてその範囲でこれを認容し、その余はいずれも失当としてこれを却下することとし、申請費用の負担につき民事訴訟法九三条、九二条、八九条を適用して、主文のとおり決定する。

(裁判長裁判官 大塚一郎 裁判官 以呂免義雄 鶴岡稔彦)

〈以下省略〉

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